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- Monokaki -


ネクロマンサー
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 ぶらりと立ち寄った、今にもつぶれそうな人形屋には、商品と呼べそうなものはこれっぽっちも無い。中年の店主は、奥の席から表情に乏しい顔を僕に向けている。とりあえず店内を形だけぐるりと巡って、僕は入口と同じ出口から外に出た。
 朝に見た天気予報では午後から傘が入り用だと伝えていたが、果たして雨は今のところ全く降る気配を見せず、霞んだ空を見上げながら次の目的地を探した。
 ふと目に止まったのは、店構えが先ほどの人形屋に良く似てはいたが、今度は古楽器屋だった。

 どれ見てやろう、と店に入ろうとしたが、どうしたことか、入り口が開かない。やってないのかと店の前をうろうろしていると、後ろから見知らぬ若い男に声をかけられた。革靴がぴかぴかの、スーツを着た男だった。
「ここ、潰れそうだからな」
 苦笑しながら男は言う。
「今日はやってないんじゃないかな。うろうろしてても、無駄かもよ」
 そのとき、入り口の戸がさながら岩扉のように、ずず、と動いた。ぽっかり空いた真四角の奥には、かすかだがくすんだ色のトランペットが見える。
 「あれ、やってたみたいだな。店主によろしく言っといてよ」
 男は僕より先に店内を軽く覗くと、じゃあねと言って駅のほうへ消えていった。

 僕は誘われるように戸をくぐり、目の前の陳列台に置いてある古いトランペットを見下ろした。昔少し吹いていたので、トランペットくらいなら吹けないこともないが、このトランペットに口をつけて吹いてやろうという気は起きなかった。たとえば、名も無き演奏家の墓前に十年間絶えず供え続けられたトランペットは、このようになるかもしれない。
 妙にひんやりとした空気に流されて、そのまま薄暗い店の奥へ歩いてみる。店内は確かに店としてはやっていけそうもないほどうらぶれていたが、よくよく見ればゴミや砂は落ちていない。それだけが、この店がまだ死んでいない証だった。
 さて店の奥に行けば行くほどより薄暗く、より薄ら寒くなっていく。楽器の陳列棚には、入り口にあったトランペットよりよっぽどましな楽器が数点置いてあったが、よく見るとどれもパーツが不完全で、とどのつまり未だ生命を宿している楽器の数は皆無だった。

 僕は店を隅々まで見て回り、とても沈んだ気持ちになった。音が出せなければ楽器ではないのだ。いや、フルートをばちの代わりに手に持ち、チューバをがんがん叩けば音は出るだろう。だが、それは死体で人形劇をしているようなものだ。
 どうしてこんな楽器しか並べていないのだろうと僕は店主を探した。店の戸を内側から開けたのは多分店主のはずだ。店の奥は家屋になっているようだったので、もしかしたら僕を誘い入れた後に引っ込んでしまったのかもしれない。
 僕はニつに分かれ動かないトロンボーンの前に立って戸の奥の店主に呼びかけてみた。返事は無い。僕の声がむき出しになっただけだ。残響などひとつも残らなかった。
 ちょっと戸の奥を覗いてやる、と思い立った。この悲しみを伝えなくては、どうにも気の済まない。いよいよ薄暗い、店の最深部をがさがさと掻き分け、僕はみすぼらしい戸に手をかけた。
 戸は簡単に開いたが、そこに店主は居なかった。あったのはゴミと砂だらけの恐ろしく暗い廊下だった。電球が粉々に割れてあたりに散らばっており、壁にはついぞ見たこともないような暗鬱な表情のポスターがニ、三枚貼ってあったが、そのどれもがべろりとはがれかけていた。廊下の突き当りには椅子がごろんと転がって、壁には真っ暗な穴が空いていた。誰も居なかった。その先へ行っても、絶対に誰も居ないと確信することが出来た。だから僕はその先へは行かず、そのまま元通りに戸を閉めた。

 だめだ、店を出よう、と思って店内をゆっくり振り返ると、急にずきずきと肌に視線が刺さった。誰も居ないのに、沢山の誰かに見られている。ほんのついさっきとたった今で、何かが違う。そう思った途端に、あたりが死ぬほど寒いことに気がついた。肺が凍りつきそうだ、それに暗すぎる。
 楽器の死体たちの間を足早に通り抜け、明るみを求めてさまよう。息絶えたクラリネット、錆だらけのフルート、神経の無いバイオリン、まるで霊安室だ。
 かたり、という音に僕ははっとして振り返った。通り過ぎた棚の上では、何食わぬ顔でクラリネットが眠っている。それだけだったが、それでも僕はクラリネットから目が離せなかった。近寄ってみようかと思ったが、この距離が精一杯だと、本能的に感じた。
 後退るように、じりじりとその場を離れようとした。が、今度はそれもうまくいかない。今度はすぐ隣のフルートが、僕を捉えて離さない。フルートの銀の肌色が僕に何かを訴えかけている。同時に恐ろしい違和感を覚えたが、それが何か、分からないほうがいい気がして、なんとか目を逸らした。
 店内はもはや、真冬の闇夜だった。氷のような空気のせいで呼吸がままならない。暗いせいなのか、目に付く楽器たちが、幽かな光を放っているようにさえ見える。焦った耳は、神経の切れたバイオリンや、真っ二つになったトロンボーンの、鳴るはずのない鼓動を捉えている。
 僕はいつの間にか這いつくばっていた。夢の中と見まがうほど、手足がうまく動かなかった。僕は夢の中で何かから逃げるときにいつもそうするように、床に這いつくばって必死に逃げた。そういえば出口がどこにあるのか全然分からないが、だけど留まって冷静に考えている余裕は無かった。差し迫っていた。
 僕ががむしゃらに振りかざした手に、何かがぶつかった。はっとして顔を上げると、そこには最初に見た陳列棚が聳え立っていて、上には変わらずトランペットが載っていた。しばし考えて、出口が目の前にあることを悟った。僕は急ごうとしたが、何かが心に引っかかってしまって、一瞬の躊躇と共にトランペットを見上げてしまった。
 そうかもしれない。これは、僕が昔吹いていたトランペットかもしれない。あの時は、飽きてやめたのだ。親にねだって買ってもらって、一年経たずに放り投げた。あのトランペットはどこへ行ったのか。「もう吹かないから売っても良いよ」とは言わなかったか。
 これが僕のトランペットだと言える証拠があるわけでもないし、そうだとしても恐ろしい古びようだったが、僕は直感的に確信してしまった。だってもしそうなら、僕が今日ここに来て、そして今這いつくばっていることへの説明がつく気がしたからだ。言い知れぬ絶望感にもろに心を撫でられて、僕の体はがくがくとわなないた。
 視線の槍が背中にざくざくと刺さる。だが、トランペットを見上げているうちに、僕は刺されているのではないということに気づいていた。逆である、吸い取られているのだ。生きているために必要な、流動的な何か──具体的な名前は無いかもしれない──を、僕は急速に失いつつある。
 店の出口は視野の狭くなった僕の目にもはっきりと映っている。外はいつの間にか大雨になっているようだ。その雨粒に、僕の指先が少しでも触れられれば、何とかなる。力を振り絞った。まだ、僕には残されている。
 だが、ぴかぴかに光った革靴が見えた。唯一の出口を、男が突っ立って塞いでいる。僕が半泣きで彼を見上げると、彼の真っ黒な目に吸い込まれそうになる。全身の肌がざわめく。  光の欠片すら見当たらない、漆黒の闇を見つめているうち、僕の体は、もう指の先まで、ぴくりとも動かなくなっていた。

 翌る日、この通りではいつものように古楽器屋と人形屋が店を開けている。人通りはそこそこで、どちらの店も客の入りは上々のようだ。
 楽器屋では、ぴかぴかのトランペットが売れた。買ったのは、楽器を始めたばかりらしい少女だ。若い店主は、大切に使ってね、と心から礼を言って、笑顔で見送った。
 人形屋にも昨日仕入れがあったようで、店の奥では、店主が客達に向けて穏やかな微笑みを浮かべている。
 昨日の雨はすっかり止んでいた。空気はこれ以上は無いというほど澄んでいた。

 (了)

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