「ずいぶん、へんてこなかたちだね。きみは本当にうさぎなのかい?」
とても不思議だったので、ぼくはそれが失言とも気づけずに訊いてしまった。
「何ら問題なく、うさぎだよ。ただ、くし型なだけ。訊かないでも、わかるだろ」
うさぎは、言葉を尖らせて答えた。
うさぎとぼくは、ついさっき、初めて会ったばかりだ。一年くらい、メールのやり取りはしていたんだけど、ふとしたはずみでぼくたちは「オフ会」をすることになったのだ。
「今やうさぎでも、インターネットやメールをする時代なんだね」
僕とうさぎの初めてのメールは、今思い返しても納得が出来ないくらい、変だった。
先にメールをしたのは、うさぎのほうだった。
『こんばんは、ぼくうさぎ』
夜中の二時に突然こんなメールが来たら、誰だっていたずらだと思う。
『そうですか、ぼくはいぬ』
だからぼくはこう送り返した。
それから数え切れないほどのやり取りがあったのちに、ぼくとうさぎはようやく互いの正体を分かりあうことができた。うさぎは、本物の、うさぎ。ぼくは、偽物のいぬで、本当は人間。
だけど、ついおとといのメールで、うさぎは少しだけ自分の正体について修正した。
『あさって、会おうよ。11時に、駅で待ち合わせしよう』
『いいよ、じゃあ、駅で会おう』
『ぼくは、【 くし型 】 のうさぎだからすぐに見つけられると思う。じゃああさって、11時に』
そう言ってうさぎはメールを打ち切ろうとした。
『なんだって? くし型? きみはくし型なの? きみがくし型だということは初耳だよ、どうしてくし型になってしまったんだい?』
そのメールに、返信はなかった。
今、ぼくとうさぎはこうして実際に、テーブルをはさんで、向かい合って、二人でジュースをすすっている。
少し不安はあったけど、確かに今日の11時にうさぎは駅にやってきた。ぼくはうさぎを一瞬にして見つけることができた。どうしてかというと、くし型のうさぎなんて、ひとりしか居なかったからだ。
「ぼくの言ったとおり、すぐ見つけられただろう?」
「うん、駅は広いし、いろいろな人が居るけど、くし型のうさぎはきみしか居なかったからね。くし型のうさぎであることも、なかなか便利だね」
「くし型のうさぎであることは、そういう時は便利だけど、でも便利じゃないときのほうが多いんだよ」
うさぎはジュースをテーブルに置いて、少しうつむき加減だった姿勢をただした。 「たとえば?」
「たとえば──きみは、寝返りを打つと思う。夜でも、昼でも、寝ているときは」
うさぎは言葉を区切った。
「でもぼくは、寝返りを打てないんだよ、くし型だから。逆に、寝れば寝るほど、くし型に拍車がかかって、ぼくはもっともっと完全なくし型になっていくんだ」
うさぎは自分のくし型のからだをさすった。
なるほど、確かにくし型の体では、寝返りは打てないかもしれない。ぼくは相変わらずジュースをすすりながら、うなずいた。
「うさぎは、いつからくし型だったの? 生まれたときから、くし型だったの?」
ぼくは訊いた。
うさぎは少し考えるようにしていたが、やがてくし型の体をひとゆすりしてから口を開いた。
「ぼくは、生まれたときはうさぎ型のうさぎだったように思う」
うさぎはそこでまた言葉を区切った。
「でも、二歳の夏のある日、ぼくはくし型になってしまったんだ」
ぼくはジュースをすすった。
「くし型になったときは驚いた。昨日までのぼくと、今日のぼくがどこかですり替えられたとしか思えなかった。でもぼくは紛れもないくし型になってしまったんだ。
一緒に生まれた兄弟は、みんなすぐに病気で死んでしまっていた。だから、お母さんもお父さんも、必要以上に心配して、ぼくをいろんな病院に連れて行ってくれた。でもぼくはどこも病気じゃなかったし、どんな問題も見つからなかった──ぼくはただ純粋にくし型になっただけだったんだ」
「くし型になってしまって、ぼくはとても落ち込んだ。
長くてかわいかった耳も、体にぴったり張り付いて、のっぺりしたかっこ悪い耳になってしまった。
毎日外に出て走りまわっていたけど、くし型になってからはとてもじゃないが走りまわる気にはなれなかった。
大好きだったにんじんもなんだか嫌いになった。だからぼくはそれ以来、ジュースばかり飲んで過ごしてきた。
くし型になってしまったおかげで、ぼくの人生は変になってしまった」
うさぎはジュースをすすり、少しだけ焦点をずらして、ぼくの後ろにある壁を見た。くし型の体がちらっと揺れた。ぼくは黙って話の続きを待った。
「それからぼくが没頭したのはインターネットだった」
うさぎは、少しためらいがちに、そう言った。
「だって、インターネットの世界ではぼくはうさぎ型のうさぎで居られるんだ。 そこで出会う誰もが、ぼくのことをうさぎ型のうさぎだと思ってくれる。ぼくがうさぎであることを疑う人こそ居たけど、くし型だと思う人はひとりも居なかった。ぼくは、居場所を見つけた気がした。いっそう短くなった前足で、懸命にキーボードを叩いた。とっても、満ち足りた気持ちがした。
でも、パソコンの前に座っていると、気持ちとは裏腹に、ぼくはどんどんくし型になっていった。お母さんもお父さんも、部屋から出てこないぼくに何も言わなくなった。
ぼくは、生まれつきそうなることが決まっていたかのように、完全なくし型に向かっていった。ついに、生まれたときから自分がくし型だったような気もしてきた。そう錯覚してしまうくらい、はっきりしたくし型になっていたんだ」
うさぎは悲しそうだった。「満ち足りた気持ちがした」と言い切ったくせに、ちょっと押しただけでわっと泣き出しそうな顔をしていた。
「大丈夫、分かってるよ、ぼくは正確にいえば満たされてなんかいなかったんだ。
ぼくの心の中に貯まったのは、すかすかの風船みたいな、かさばるばっかりで中身がさっぱりの、偽物の嬉しさだったんだよ。だけど、そうと分かっていても、やめられなかった。偽物の嬉しさでも、かき集めないわけにはいかなかったんだ」
うさぎはまた、僕の後ろの壁を見た。じっと見ているので、ぼくも振り返りたくなったけど、振り返らないほうが良い気がした。
「ある日のこと。
ネットサーフィンしていたら、きみのことを偶然見つけた。あれは本当に偶然だったと思う。確かに、もしかしたらいつかは必然的に出会うことになっていた気もするけど、『あれ』は確かに偶然だった。
とにかく、ぼくはきみの連絡先を見つけた。見つけてすぐにメールした」
「だからあんな変な時間にメールしたんだね」ぼくは納得した。
「そうだよ。そして、今、ぼくはここに居る。
きみと一年間、メールをやったりとったりして、とても楽しかったから。
わかる? 本当に、久しぶりに部屋を出てきたんだよ、ぼくは。
きみに会うために、勇気を出して。きみと会って、本当の友達になりたくて、なれると思って。
いぬ型になってしまった、人間のきみに会うために」
そう言ってうさぎは、ジュースを持つぼくの手を──いや、前足を見た。
「きみはインターネットの世界でも、いぬ型であることを隠していなかった。ぼくは最初、きみがなんでそんな自虐的なことをしているのか疑問でならなかった。いぬ型であることを、どうしてそこまで当たり前に受け入れられるんだろうか、って。
でも、やっぱり、最終的にはそうなるんだよね。ぼくも、きみとやったりとったりするうちに腑に落ちた。いぬ型の人間が居て何が悪いだろう、くし型のうさぎが居て何が悪いだろう。
うさぎはうさぎなんだから、何の問題もないんだって。
あと、それと同時に、外を走りまわらなくて何が悪い、っていう風にも思うようになった。くし型で、引きこもりで、趣味がネットサーフィンのうさぎが居て何が悪いだろう、ってね」
ぼくとうさぎは、同時にジュースをすすった。
「ぼくの話は終わり。次は、きみの話をしてよ。
きみは、いつからいぬ型だったの? 生まれたときから、いぬ型だったの?」
うさぎは椅子の上でくし型の体をひとゆすりした。何の違和感もない、自然なゆすり方だった。
ぼくは自分の話を始めることにした。
まずは、小学校に入学したときの話からしようかな。
(了)
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